「#MeToo」運動から考える、苦しみを序列化することの愚かしさ【ライター/北条かや】

「#MeToo」運動




みなさんこんにちは、北条かやです。職場におけるセクハラを訴えるムーブメント「#MeToo」が盛り上がりをみせていますね。日本ではジャーナリストの伊藤詩織さんが性暴力を告発し、ネットを中心に話題になりました。

伊藤さんの勇気ある告白で、「性暴力被害を訴えることは、恥ずかしいことじゃないんだ」「私も主張していいんだ」という空気が広がったと思います。その動きは、先日、ブロガーで作家のはあちゅうさんが、会社員時代に受けたセクハラ、パワハラ被害を告発したことで、さらに大きなうねりとなりました。

ハッシュタグに触れるたび、生まれる罪悪感

多くの女性が「#MeToo」のハッシュタグでつぶやいています。それらを見ると、こんなにたくさんの女性が性暴力に苦しんでいるのだということに、改めて絶望します。しかし同時に、「私はここまでのセクハラを受けたことがない」と、妙な罪悪感のような気持ちが芽生えてしまうのもまた、事実なのです。

私は、新卒で入った会社を1年半もしないうちにやめました。その間、「これはセクハラだよなぁ」と思う現場を目にしたことは1度しかありません。

「おばさん」と呼ばれながらセクハラをかわしていた先輩

会社の飲み会で、ある上司が新入社員の私とアラサー世代の女性社員を比べ、「おばさん」と笑ったのです。「おばさん」と呼ばれた女性は、ニコニコしつつ、さらにその上司からの身体的なセクハラをなんとかかわそうとしていました。私は、彼女に助け舟を出すこともできず、もどかしい思いにかられながら、ただ時間がすぎるのを待つしかありませんでした。

無力かつ自己主張のない、愚かな新入社員だったと思います。が、それ以降、職場で性的ないやがらせや脅しに遭ったことはなく、目撃したこともありません。




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RUN-WAY編集部

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