前世はイタリア人!? 芸人から親善大使へと続く道【イタリアン芸人/佐々木カルパッチョさん】

佐々木カルパッチョ




“ローマでお笑いをやっていた唯一の日本人!“をキャッチフレーズに、イタリア親善大使を目標に活動している佐々木カルパッチョさん。ほかの人にはない自分だけのスタイルを確立するまでの道のりについて聞いてきました。

ポイントは……

  • 前世は、きっとイタリア人
  • スマホがあればどこでも仕事
  • 一番に動ける人が強い

芸人と言えば芸人? それとも?

僕は、イタリアのことが大好きなのでイタリアン芸人と呼ばれているのですが、正確に言うと日本人としてみた、イタリアの素敵なところを宣伝する“一人イタリア広告代理人”です。
陣内智則さんやバカリズムさんのようなネタを持ち人前で芸をする世間一般に知られる芸人さんというよりは、イタリアが好きだ。これまで芸人をやってきた。だからイタリアの楽しさ素晴らしさを自分という人間の生き様をつかって伝えていこうとしているので、芸人っぽいけど、やってることは宣伝大使でしょうか。面白いは意図的に創り出すイメージが強いですが、楽しいっていうのは、普通に話をしているだけでも成立する。だから、だれかが僕と会って楽しんでいる喜んでくれているならば、それは僕の一つの芸かもしれませんね

佐々木カルパッチョを知り、イタリアの国旗を見たり、料理のカルパッチョを見たりすると、僕のことを思い出してくれる誰かがいるならば、その人にとってのイタリア観に
影響を与えているインフルエンサーとも言えるかもしれません。

順風満帆すぎた、そんな人生「おもしろくない」

佐々木カルパッチョ

大学の4年間は大学生活らしいことも、最初の1年はしてましたが、4年間は主に、地元大阪で
難波周辺、俗にいうミナミやアメリカ村とか心斎橋界隈でクラブに行ったりして大阪で目立っている友達を作ることに力を入れてましたね(笑)
その4年間で、とにかく組織のなかでの自分のポジションの取り方、もちろん明るく楽しいことで「こいつおもろい奴やな、ええ奴やな」と思ってもらえる人付き合いの機微、社会に出て生きていくための知恵を学びましたね。

大学時代は、楽しいやつとして一目おかれる存在ではありたいと思っていましたけど、お笑いには興味がなかったので、就職活動をすることに。大阪の豊中市という、イタリアで言うとミラノあたりに住んでいたのですが、イタリアで言うと東にあるベネチア、そう東京で自分のことを試したかったので、通信業界やエンタメ業界の企業で、経営のビジョンや会社の成長度から、チェーンストア理論が学べるダイナムという会社に就職しました。入社2年目にはアシスタントマネジャーとして、全国優秀店舗の表彰を得たり、業務改善コンクールで入賞したりと
業績を残して会社の成長のために、仕事を頑張ってました。

でも、3年目になり、ストアマネジャーの試験を受けるとなった時、自分の人生とその会社での先がぼんやりイメージできてしまったんですよね。年収もいい、待遇も最高に良い、人間関係も良好で仕事にも何の不満もなかったけど、どこか心底おもしろいとおもえなくなってしまったんです。当時25歳の自分に「この先の描けている人生でほんまに楽しいか?」と聞いたら、全然楽しくないと思った。だから、当時の大変お世話になった上司にお願いして、最後は自分の夢とビジョンを理解してもらい退職しました。




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RUN-WAY編集部

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