何万人もの前で歌いたい! ネパールでのチャリティフェスも続けたい!【シンガーソングライター/佐野碧さん】

佐野碧




バイト代をつぎこんだのは、まさかの……

佐野碧

本格的に音楽を始めたのは大学のころです。パソコンで楽曲を打ち込んだりするコンピューターミュージックが始まりです。

実家にいろいろな機械があったので、キーボードとスピーカーをつなぐケーブル1本でもいろんなケーブルを試したり、バイト代を全部ケーブルにつぎこんで1本2万円のケーブルを買ったり。音を自由に扱って自分好みの料理ができるというか、思う通りに自在に音楽を作れるのがすごく楽しかったですね。

卒業後、いきなり背負った借金

就職活動はせず、大学卒業後は上京してプライベートスタジオを立ち上げました。借金を背負い、バイトをしながらのスタートでした。

もちろん、すごく勇気がいりましたし、怖かった。でもやるしかないというか、せっかくやりたいことがあるんだから最後までやりたいなって。もともと体育会の性格だから、根性だけで頑張りましたね。

デビューしたら調子に乗れなくなった

佐野碧

インディーズデビューしたのは、上京して3年経った2012年です。「虹色のひとみ」という曲で、俳優でケーナ奏者の田中健さんと共演しました。そこから関わってくれる人が増えたり、テレビのエンディングテーマの仕事が来たりするようになって、自分の意識も変わっていきました。

以前は調子に乗っていたところがあったんですが、いろいろな人に支えられて自分は道を作ってもらっているんだということを知ったら、調子に乗れなくなったというか。自分はただがアーティストとなんだ、ということがわかったんです。




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RUN-WAY編集部

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