二つの夢を叶えた、看護師からファッション界への華麗なる転身【Benemodeデザイナー、モデル、インフルエンサー/矢野翔子さん】

矢野翔子




3〜5年で辞めると決めて、看護師になった

矢野翔子

でも、高校卒業後は看護師の専門学校に行って、2年前まで看護師をしていました。小学生でファッションの仕事をしたいと思うもっと前、幼稚園のころから看護師が夢で、絶対になると決めていたんです。

だから先に看護師になる夢を叶えて、もう一つの夢、ファッションの仕事をしたいという夢を叶えるにはいつどういうタイミングで動いたらいいかな、と高校ぐらいから考えていました。それで、3年から5年でやめると決めて、まずは看護師になったんです。

3〜5年と決めたのは、医療の世界では3年は臨床経験がないと看護師として使い物にならない、1人前じゃないと見られるんですね。だから3年以上はやって、「看護師をやってました」と言える知識を身につけてからやめようと思ったんです。でも、5年はかかりすぎだなって。

最終的に看護師になって4年目で大学病院をやめて、それから看護師のパートを週に何日かやりつつ、モデルの仕事や独立に向けた「Benemode」の準備を始めました、看護師は5年で完全にやめました。

叶えたいことを叶え、好きなことだけを仕事にできている幸せ

看護師をやめると言った時、前から準備をしていることを知っていたお母さんは応援してくれたんですけど、お父さんからは「あほか」と言われたりしましたね(笑)

でも、まったく悩まなかったです。もし失敗しても、資格があるので、看護師という戻れる場所がある、というのが大きくて。また、看護師を4年やったという経験が自信になりました。ワクワクがすごく勝ってました。

叶えたいと思っていたことをどちらも叶えられて、好きなことだけ仕事にできていているので本当に幸せだなと思います。

結婚して花嫁になったら、ウエディング関係の仕事が増えた

矢野翔子

バッグはデザインも自分でやっています。日本の職人さんに一つ一つ、手作りで革のバッグを作ってもらっているので数は少ないのですが、最初は百貨店にも出していました。モデルやインフルエンサーの仕事とのバランスもあって、今はネット限定で販売しています。

モデル、インフルエンサーとしてのやり甲斐は、自分の言葉、表現で自分から発信して、そのままみんなに情報をお届けできるのが楽しいですね。

私自身が数ヶ月前に結婚式を挙げたので花嫁さんから質問をいただいたり、ウエディング関係の仕事がグンと増えたり。花嫁さんは結構ナーバスになる時期があるんですけど、「翔子さんがこういうふうに言ってたから」とフィードバックがあったり、反応が直接見えたりやりとりしたりできるのもうれしいです。

影から支えてあげられる大きなお母さんに

人生全体の目標は素敵な女性になることです。それを、どんな女性が素敵か、とか細かく決めて「これとこれができたからオッケー」になっちゃうと嫌なので、そこはやんわりと置いておくようにしています。

あとは、お母さんになることですね。人を産む、育てるというのは親の方が成長できることだと思うんです。私はNICUの看護師だったので母親になる瞬間をかなり見てきていて、そこを自分で経験するのが大きな目標ですね。主人のことも子供のことも、縁の下の力持ちみたいな感じで影から支えられる大きなお母さんになりたいです。

子供ができても仕事は続けたいので、これまでは若い子から憧れの的になるようなお仕事をさせてもらっていたのを、30代から40代のママ世代へと活動範囲を変えていけるように考えながら動いています。その一つが、オンワード樫山さんのWebサイトのモデル、ブロガーとしての仕事。去年の秋ぐらいから動いて、自分でつかみました。




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RUN-WAY編集部

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