所謂(いわゆる)の意味とは?
いわゆるという言葉は日常会話で使うときは多くありますが、所謂という漢字を使うときは多くないでしょう。
ここでは、所謂の意味についてご紹介します。
所謂の意味は、世にいうところの、世の中一般にいわれているということです。
いつもは意識しないでしょうが、あまり他の言語には例がない品詞の連体詞というものであるため、把握しておくといいでしょう。
主な特徴は、活用がないことと名詞の上につくことです。
基本的に、何かを人に説明するときに、言い換えてわかりやすくしたいというようなシーンで使うことが多くあるでしょう。
しかし、実際に普段の会話で使うときは、余計に言い換えがわかりやすくならなかったり、冗長であったり、意味が特になかったりするようなこともあります。
また、堅い文章のレポートや論文などの中でも普通に使われますが、ひらがなのいわゆるの方が漢字の所謂より使われるときが多くあるようです。
所謂の由来とは?
所謂は古語の残存形であり、わければいわ(いは)とゆるになります。
いふ(言ふ)という動詞の未然形のいはに、上代の受け身のゆという助動詞の連体形であるゆるがついて、いわゆるという言葉にとなりました。
なお、ゆという助動詞は、一般的な用法から10世紀には無くなっており、現在までいはゆるという言葉のみが残っているようです。
経緯が同じような言葉としては、現在でも使われているあらゆるがあります。
古い使い方としては、歴史物語の「大鏡(おおかがみ)」という平安時代に書かれたものにありました。
これは、「御母、右大臣源能有の御女、いはゆる、九条殿に御座します」で、意味としては「母親は右大臣源能有の娘、世間でいえば九条殿です」ということです。
そのため、世間一般に九条殿という呼び名が知られており、説明するときにわかりやすいということを示しています。
所謂の使い方とは?
ここでは、所謂の使い方についてご紹介します。
所謂と名詞を組み合わせて使う
例えば、次のように所謂と名詞を組み合わせて使います。
所謂天才ゲーマー
意味は、世の中でいわれている天才ゲーマーです。
所謂アーティスト
意味は、世の中でいわれているアーティストです。
所謂ひきこもり
意味は、世の中でいわれているひきこもりです。
つまり、世の中でいわれているなどに所謂を置き換えるとよくわかるでしょう。
所謂を使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「仕事をしなくても生活ができるだけの所謂、独立財産がある。」
この例文の意味は、仕事をしなくても生活ができるだけの世の中でいわれている独立財産があるになります。
- 「彼は専門的な教育を受けていないがイラストが上手く、所謂天性のデザイナーである。」
この例文能力意味は、彼は専門的な教育受けていないがイラストが上手く、世の中でいう天性のデザイナーであるになります。
- 「彼女は非常に美しく優秀な成績で、所謂才色兼備である。」
この例文の意味は、彼女は非常に美しく優秀な成績で、世の中でいわれている才色兼備になります。
所謂を使うときに注意することとは?
所謂の使い方としては、所謂ですというものはないため注意しましょう。
所謂ですのときは世の中にいわれているですということになるため、意味が相当不明になります。
また、所謂は相当使い易く多用できます。
しかし、使いやすいということでも多用し過ぎれば、妙な上から目線のイメージや小生意気なイメージを与えて逆効果になります。
ここでは、間違った所謂の使い方の文例についてご紹介します。
- 「所謂あの料亭の所謂料理は、所謂インスタ映えすることを所謂考えているよ。」
このように、多く使えば違和感があるでしょう。
所謂をビジネスシーンで多く使うと信用が下がることがあるため、所謂を使うときは注意しましょう。
所謂と間違いやすい言葉とは?
ここでは、所謂と間違いやすい言葉についてご紹介します。
所以(ゆえん)
所謂と間違いやすい言葉としては、所以(ゆえん)があります。
所以の意味は、物事の根拠になる理由です。
所以を使った例文としては、この文書が不正の疑いがあるといわれている所以だなどがあり、人の言動などや物事の要因や原因になっているものなどをいいます。
所謂の意味は世の中でいうところのということで、所以の意味はものごとの理由や根拠です。
そのため、意味が違うので、使うときに間違えないようにしましょう。
所為(せい)
所謂と間違いやすい言葉としては、所為(せい)もあります。
所為は、主としてネガティブなものごとや出来事に使われるもので、意味はしわざ、行いということです。
よく普段でも使う他の人のせいにするのせいは、所為という漢字になります。
所為を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「自分の所為を反省する必要がある。」
- 「彼は他の人の所為にする習慣がある」
所謂とは意味が違うため注意しましょう。
所詮(しょせん)
口頭では所詮(しょせん)は割合よく使われますが、文字で見るチャンスは割合少ないでしょう。
所詮の意味は、最終的には、結局はになります。
所詮を使った例文としては、「所詮、この仕事は自分には無理であった」などがあり、何かの事実や出来事をまとめるときに使います。
所謂の意味のように、そう多くの人がいっているということはなく、物事を客観あるいは主観の観点で見た結果をいいます。
そのため、意味も使い方も所謂とは違います。
所謂の類義語とは?
所謂の類義語はいくつかありますが、特にいわば、俗にいうなどが使いやすいでしょう。
いわばというのは、いってみればなどとしても使われる言葉で、出来事やものごとを結論づけたり、いい換えたりするときに使われます。
所謂が持っているものごとをまとめる意味合いで使える類義語です。
俗にいうの俗の意味は、一般的に、一般ということです。
そのため、俗は、みんなが一般的にいっていることという意味で使えます。
所謂の意味の世の中でいうところのということと同じです。
俗にいうもいわばも、みんながいっているあれですよというような所謂が持っているイメージの特徴的なものを持っているため、そのまま文章や会話のムードやリズムを引き継いで使えます。
所謂の英語表現とは?
「what is called」が、所謂の英語表現になります。
所謂という言葉は日本独特のものであるため、英語にするときは意味が同じような言葉を使います。
「what is called」がこのような言葉になります。
「what is called」の意味は、「~と言われているもの」ということで、所謂と同じように使えます。
「what is called」を使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「His wife is what is called a homemaker.」(彼の妻は所謂主婦です。)