拘泥(こうでい)の意味とは?
拘泥(こうでい)は、「こだわること」「必要以上に気にして囚われること」という意味です。
拘泥の読み方は「こうでい」で、「くでい」はないため注意しましょう。
拘泥は、特に「融通が利かなくて、必要以上に小さいことにこだわる」というような様子をいう時も多くあります。
拘泥の「拘」「泥」という漢字の意味は、「1つのことに囚われる」ということがあります。
「拘」の読み方は、「かかわる」「とらえる」ということです。
「拘る」の意味は、「一つのことに囚われる」ということです。
「泥」の読み方は「どろ」ですが、実際には「なずむ」というものもあります。
「なずむ」の意味としては、「物事が滞る」「執着する」「そのことに心を囚われる」ということがあります。
そのため、拘泥は意味を強調するために意味が同じ言葉を重ねたものです。
拘泥の使い方とは?
ここでは、拘泥の使い方についてご紹介します。
褒め言葉では拘泥は使わない
拘泥は、ネガティブな「拘り過ぎて良くない」というような意味合いだけで使います。
そのため、「拘る」と同じ感じで使うと失礼になります。
「拘泥が感じられる」「品質に拘泥した一品」などのように、褒め言葉として使うのは間違っています。
拘泥する
拘泥は、主として動詞として拘泥するのように、「こだわる」という意味で使います。
否定形で「拘泥せず」「拘泥しない」などのように使うことによって、「拘らない」という意味としても使います。
拘泥は、ビジネス文書やビジネスシーンで使うと、スマートなイメージになります。
一方、拘泥は硬い言葉であるため、話し言葉としては使いません。
拘泥するの他には、拘泥るのようにも使います。
拘泥るは、こだわるや拘るとも読み方は同じです。
そのため、拘泥るの意味としては、拘泥の意味と同じように「拘り過ぎて良くない」ということになります。
さらに、拘泥のように名詞としても使います。
拘泥の意味は、「こだわること」のように動作そのものです。
しかし、拘泥るや名詞の拘泥は、ほとんど日常会話やビジネスシーンでは使われないといえるでしょう。
昔の夏目漱石などの小説で使われる程度です。
忸怩(じくじ)と拘泥の違いとは?
ここでは、忸怩と拘泥の違いについてご紹介します。
忸怩は拘泥と字の感じが同じようなものであり、良くないという意味であるため、忸怩はつい読み間違えることがあります。
忸怩の読み方は「じくじ」で、意味としては「恥じ入ること」「深く恥ずかしがること」ということです。
使い方としては「忸怩たる思い」というものがよくありますが、この意味は「深く恥じ入って反省する」ということです。
セットで拘泥と忸怩は使うことができます。
例えば、「細かいことにあの時は拘泥しすぎて、現在では忸怩たる思いである。」の意味としては、「細かいことにあの時は囚われすぎて、現在ではそのことについて反省して、深く恥じ入っている。」ということになります。
拘泥の類義語とは?
拘泥はいくつかの類義語があり、それぞれ意味合いが微妙に違っています。
拘泥という言葉は、使われる時はちょっと広い意味が多くありますが、類義語は使われる状況、場所が限られることが多いため、きちんと意味を掴んでおくことが大切です。
ここでは、拘泥の類義語についてご紹介します。
粘着
粘着ということは、粘着テープなどのようによく最近は使われています。
しかし、ここでの粘着は、粘着テープなどとは違った、人間の行動・心理についてご紹介します。
粘着の意味は、拘って執念深いということです。
粘着を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「彼は粘着気質であるため注意する方がいい。」
- 「彼は粘着的な行いをしたので注意された。」
- 「会議で課長はプランを粘着的に批判した。」
固執
固執の読み方としては、「こしつ」と「こしゅう」があります。
読み方としては、本来は「こしゅう」ですが、慣用的には「こしつ」になります。
正しく読む時は、「こしゅう」の方がいいでしょう。
固執の意味は、「考えや態度を自分の意見に拘って変更しないこと」です。
固執は、いい意味でも良くない意味でも使われますが、あまりいい意味に感じてくれる人は多くないでしょう。
固執を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「自分の説に固執して、大きな発見の機会を逃した。」
- 「一つの方法に固執すると、成功するポイントになったり、大きな失敗の要因になったりする。」
執着
執着の読み方としては、「しゅうちゃく」と「しゅうじゅく」があります。
「しゅうちゃく」の読み方は、一般的に使われており、意味は「心を一つのことに囚われること」です。
「しゅうじゃく」の読み方は、仏教用語で、意味は「一つのことに拘って、修行の妨げになること」です。
執着を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「出世することに彼は執着している。」
- 「全体像がそれに執着すると見えなくなる。」
拘泥の対義語とは?
ここでは、拘泥の対義語についてご紹介します。
諦観
諦観の意味は、「はっきりと本質を見極めること」「悟って諦めること」です。
意味は「諦める」ということですが、単純に諦めるのでなく、悟りが必要です。
諦観は、諦める理由を受け入れることによって成り立ちます。
諦観を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「諦観的な彼の態度は、性格が冷静であることをイメージづける。」
- 「お金に執着するのを止めて、人生を諦観した。」
潔い
潔いの意味は、「未練がましくない」「思い切りがいい」ということです。
潔いという言葉は、一つのことに拘らなく、「これはこれとしてやろう」などというのがぴったりの意味になります。
潔いを使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「彼は不正を潔く認めた。」
- 「彼は潔く謝罪したため、世論は彼をサポートした。」
没却
没却は、一般的に非常に使うことが少ない仏教用語です。
没却の意味は、「考えや関心を忘れて無視すること」です。
しかし、悪い意味にも没却は使われる時もあります。
没却を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「この小説は、独創性が没却することによってないものになった。」
- 「法律の文言に拘って、この精神を没却している。」
拘泥の英語表現とは?
「stick 」「adhere」などが、「拘泥」の英語表現になります。
「stick」よりも「adhere」の方が、堅くて強意的な英語表現になります。
「stick」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「You should not stick to the status quo.」(あなたは現状に拘泥すべきでない。)