「ルビコン川を渡る」の意味とは? 使い方や類義語などを解説




「ルビコン川を渡る」の意味とは?

「ルビコン川を渡る」は、後戻りができない決断を下す、後戻りができない道に歩み出す、という意味です。

ルビコンそのものは、大きな障害ではないという意味です。

ルビコン川は、源がアペニン山脈の小さなイタリアの川で、チェゼーナとリミニの間を流れてアドリア海に注いでいます。

ルビコン川を渡るのは簡単でしたが、紀元前49年1月10日にユリウス・カエサルはルビコン川の北岸に配下の一個軍団を従えて立ち、次の一手を決断しかねているように見えました。

ユリウス・カエサルは、古代のローマの将軍、独裁官、執政官で、ルビコン川を渡って、ローマ帝国が成立するまでの流れを生み出しました。

カエサルが決断を迫られていたのは、対岸にどのようにして渡るかということとは関係がありませんでした。

というのは、橋がすぐそばに架かっていたためです。

ルビコン川が象徴するものを、カエサルが立ち止まって思案していました。

その当時、ルビコン川はローマとその周りの直轄領のイタリア本土と、統治をカエサルが任されていたガリア・キサルピナというローマの属州を隔てている境界線でした。

イタリア本土にカエサルが軍を率いて入ることは、明確にローマの法律で禁止されていました。

この禁止を、カエサルは今まさに破ろうとしており、これがカエサル自身はどのような結果になるか十分にわかっていました。

ルビコン川を渡ることは、カエサル自身だけでなく、カエサルに従っていた軍隊も死罪になることを意味していました。

そのため、カエサルが軍隊を率いてもしルビコン川を渡れば、以前の盟友で現在不倶戴天の敵であったポンペイウスが指揮する軍隊を打破してローマに入るしか方法はありませんでした。

これができないと、カエサルは刑死を免れません。

カエサルはしばらく自分の決断の重さに思いを巡らしてからルビコン川を渡って、ローマの内戦が始まりました。

「ルビコン川を渡る」の使い方とは?

ここでは、「ルビコン川を渡る」の使い方についてご紹介します。

大きな行動や決断をするときに使う

「ルビコン川を渡る」は、大きな行動や決断をするときに使います。

例えば、今後の人生に影響するような行動や企業の存続がかかるような決断など、大きな変化がその行動や決断によって訪れるときに使います。

自我の目覚めをシュタイナー教育では表す

ルドルフ・シュタイナーという哲学者が提唱した「シュタイナー教育」では、「ルビコン川を渡る」と自我に子供が目覚めることをいいます。シュタイナー教育では、自我の目覚めを9歳を境に迎えることによって一歩自立に近づくとされています。

子供から大人に成長し始めると、再度引き返せないため「ルビコン川を渡る」と「自我の目覚め」を表現しています。

「ルビコン川を渡る」を使った例文

ここでは、「ルビコン川を渡る」を使った例文についてご紹介します。·

  • 「ルビコン川を渡る彼には、思わぬフォローウインドだろう。」
  • 「ルビコン川を渡ると、再度後戻りできない。」
  • 「彼はルビコン川を渡る決心であるため、誰の意見も聞かないだろう。」

「ルビコン川を渡る」の類義語とは?

ここでは、「ルビコン川を渡る」の類義語についてご紹介します。

「背水の陣」

「ルビコン川を渡る」の類義語としては、「背水の陣」があります。

「背水の陣」の意味は、一歩も後に下がれない状況で全力を尽くすことです。

「背水の陣」と「ルビコン川を渡る」は、後戻りできないような大切な行動という意味が同じであるため、類義語になります。

「背水の陣」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。

  • 「失敗すると命がないと考えて、背水の陣で臨んだ。」
  • 「自分から背水の陣を敷いたため、本気であることがわかる。」

「清水の舞台から飛び降りる」

「ルビコン川を渡る」の類義語としては、「清水の舞台から飛び降りる」があります。

「清水の舞台から飛び降りる」の意味は、大きな決断を覚悟を決めて行うことです。

「ルビコン川を渡るつもりで○○する」というときは、「清水の舞台から飛び降りるつもりで○○する」に言い換えられます。

「清水の舞台から飛び降りる」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。

  • 「清水の舞台から飛び降りるつもりで、事の真実を話した。」
  • 「清水の舞台から飛び降りる考えであったが、いざとなれば恐ろしくなった。」

「一か八かの賭けに出る」

「ルビコン川を渡る」の同義語としては、「一か八かの賭けに出る」があります。

「一か八か」の意味は、運を天に任せて勝負するということです。

なお、カルタ賭博から一と八という数字は発生したといわれています。

また、「丁か半か」という賭博の漢字の上の箇所を取ったという説もあります。

説得力がなんとなくあるようにも思えますが、「ばち」と「八」を読んでおり、訓読みに「八」のみなっているため疑問が生じます。

また、「ばち」と濁っていることについても疑問があると考えられます。

「一か八かの賭けに出る」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。

  • 「どのようなことが起きるかわからなかったが、一か八かの賭けに出ることにした。」
  • 「一か八かの賭けに出る決断ができなかった。」

「ルビコン川を渡る」の対義語とは?

「石橋を叩いて渡る」が、「ルビコン川を渡る」の対義語になります。

「石橋を叩いて渡る」の意味は、用心の上にさらに用心して物事を行うことです。

石橋は強固であるためすぐに壊れることはありませんが、安全性を確かめるために石を叩いて渡るので、十分過ぎるほど用心深くなっているという意味です。

臆病な人、慎重過ぎる人に使うときもありますが、このときは皮肉を込めることが多くあります。

用心を促すために「石橋を叩いて渡る」などと使うときもあります。

しかし、十分に用心したにも関わらず最終的に行動しない、用心し過ぎて失敗した、などに対しては、「石橋を叩いて壊す」「石橋を叩いてもわからない」などのような表現もあります。

なお、「危ない橋を渡る」とは意味が違うため注意しましょう。

「ルビコン川を渡る」の英語表現とは?

「Cross the Rubicon」が、「ルビコン川を渡る」の英語表現になります。

「Cross the Rubicon」は、外国で実際に使われている英語表現です。

また、「Cross the Rubicon」の他にも、「Burn one’s bridges」という英語表現もあります。

「Burn one’s bridges」の意味は橋を燃やすということであり、橋を燃やして道路がなくなるため、後に下がれない状況であることを表現します。






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RUN-WAY編集部

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