「切実なもの」ってなんだろう
前回(「『好き』よりも、自分にとって『切実なこと』を仕事にしなさい!」アドバイスした先輩の真意とは)は、私が「好きなこと」というより、自分にとって身近で、どうしてもそれにこだわってしまう対象を仕事にしたというお話をしました。
それをあらわすのが「切実」という言葉です。私にとって「切実なもの」とは、追求せずにはいられない、差し迫った問題意識を感じさせるもの。それが文章を書くことでした。
仕事か、趣味か
だから仕事がツラいんですね。どうでもいい対象、ラクなことを仕事にしていれば、オンとオフの切り替えができて、リフレッシュする方法も色々思いついたはずです。そういう人生も、私はありだと思います。
ある公務員の友人は、「仕事はつまらないけど、18時には帰宅できるから趣味の時間が充実してるよ」と楽しそうに話していました。「本当にこの仕事にしてよかった」とも。また、ある大学時代の同級生は、「自分の時間がほしいから」と、商社から公務員に転職しました。公務員ばかり出てきますが、どうも公務員の方というのは「好きなことや切実なことは、趣味にとっておく」タイプの人が多い気がします。それが悪いことだとは、全く思いません。
切実だから、ツラいのか
一方の私は、文章を書くことで頭がいっぱいで、好きというよりは脅迫的に書いてしまう感じです。書かずにはおられないときがあります。それだけ切実なものだからこそ、うまい作家さんを見れば嫉妬してしまうし、ちょっと調子にのって「よく書けたぞ」と思っても、批判されればものすごくがっかりするわけです。自分のすべてを懸けているからこそ、ツラくて当たり前なのだと思います。
もしこれが「好きなことを仕事にした」のだったら、ツラくても毎日が充実していて、キラキラしているかもしれません。また、「好きなことを仕事にしたけど、やっぱりやめよう、趣味にとっておこう」という選択肢だってあったかもしれません。が、私にとっては文章を書くことが自分の根幹に関わっているので、やめようと思ってもやめられないんですね。それが、辛さの原因だと思います。