辟易(へきえき)の意味とは?
辟易の意味は、嫌になること、うんざりすることです。
例えば、辟易は嫌気がさしたり、迷惑に思ってうんざりしたりすることです。
また、相手の勢いにおされたりなどして気後れしてしりごみしたり、たじろいたり、ためらったりすることも、辟易というときがあります。
辟易は、へきいきやへきへきなどといわれるときもありますが、へきえきが正しい読み方です。
易は、占い師の易者(えきしゃ)という言葉と同じように、読み方はえきになります。
話し言葉としても辟易はよく使われるので、言い間違ったり、聞き間違ったりしないように注意しましょう。
この機会に、辟易の読み方はへきえきであることをしっかりと把握しておきましょう。
中国の歴史書で、辟易という言葉は使われていました。
辟の意味は、避けるということがあり、易の意味は変える、変わるということがあります。
そのため、辟易の意味は、避けるために変えるということで、ここから意味としてたじろぐ、相手を恐れて逃げるということで使われるようになったそうです。
さらに、避けて通りたいという意味から、嫌気がする、うんざりするなどの意味に派生したといわれています。
辟易の使い方とは?
ここでは、辟易の使い方についてご紹介します。
辟易する
辟易するの意味は、うんざりするということであるため、一緒に同じことを繰り返す物事、相手として使われるときが多くあります。
また、辟易は自分の心情を表わすため、具体的な行動を後に使う、例えば、辟易して~できなくなるとすることによって、文章で自分の状態をより伝えることができます。
例えば、考えられなくなる、動けなくなる、言葉を失うなどを、辟易の後に使うことができるでしょう。
辟易するを使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「父親は会うごと同じ話を繰り返すので辟易する。」
辟易している
周りの人がうんざりしている様子のときに、辟易しているを使います。
辟易という言葉は心情を表わすものですが、辟易するに居るをプラスすることによって、周りの人の様子の説明ができます。
辟易しているを使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「余震が起きるたびに、誰もが辟易している。」
- 「全員が長時間単純な作業を続けているので、辟易しているようである。」
辟易させられる
辟易させられるは、受動態の表現でうんざりさせられた物事を強調することです。
一方、辟易させるというような使役・命令の使い方は、他の人がうんざりしていると決めつけることがあるので、普通は使いません。
辟易させられるを使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「道路でのキャッチセールスには、辟易させられる。」
- 「細かなことで怒る上長に、辟易させられる。」
辟易の類義語とは?
ここでは、辟易の類義語についてご紹介します。
二の足を踏む
二の足を踏むという意味は、一歩目は進んでも、ためらって二歩目は足踏みする、決心できなくしりごみする、実行をためらうということです。
そのため、一歩目は踏み出せたがなかなか二歩目が踏み出せないため、行動したり物事を決断したりすることがなかなかできない様子を表現した言葉です。
二の足を踏むを使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「早く彼女は転職活動をスタートしたいようであるが、ボーナスが支給される前であるため二の足を踏んでいる。」
- 「彼はすすめられた服を購入したいようであるが、値段が高いので二の足を踏んでいる。」
- 「彼のことは非常に好きであるが仕事を辞める必要があるので、結婚するのは二の足を踏でいる。」
- 「ずっと彼女は二の足を踏んでいたが、重い腰をやっと上げて決めた。」
閉口(へいこう)
閉口(へいこう)の意味としては、次のようなものがあります。
- 口を閉じること、黙って答えないこと、口をきかないこと
- 圧倒されたり言い負かされたりして口がきけないこと、言い負かされて降参すること、言葉に詰まること
- いやになること、よわること、困ること
この中でいやになること、よわることなどは辟易と同様に使えますが、辟易という意味が含まれていないため、全く同様に使えないともいえるでしょう。
また、もともと閉口の意味は全くいわないで黙るということであるため、手に負えない、困るというような意味合いが強いので、このような言葉を使うときは使い分けに注意しましょう。
閉口を使った例文としては、次のようなものがあります。
- 「人が多く使う場所での彼の悪いマナーには閉口した。」
- 「無理な突然の要求に彼は閉口した。」
- 「周りの人の意見を一切受け入れない彼の態度には、全員が閉口した。」
- 「彼は見聞きした全てのものを話し終わるまで止めないため、誰もが出会うと閉口する。」
辟易の対義語とは?
辟易は、明確な対義語はありませんが、それらしい言葉がいくつかあります。
ここでは、このような言葉についてご紹介します。
愛着が湧く
愛着の意味は、親しみ深い物事に引かれることです。
愛着するともいいますが、どちらかといえば、愛着がある、愛着が湧くなどで使われるときが多くあります。
基本的に、いい意味の表現ですが、物事に囚われている、執着していることを仏教用語では意味しており、良くない表現になります。
また、興味と同様に、難しい意味も心理学用語としてはあります。
しかし、普段の会話においては、初めに説明した意味で使うと問題ありません。
興味がある
興味の意味は、物事に関心を持つこと、心を引かれることです。
よくある使い方としては、興味を持つ、興味があるなどの形です。
辟易が表現している感情は物事を避けてうんざりしていることであるため、興味は辟易の対義語になります。
興味の意味は、これ以外にも物事が感じさせる面白味ということや心理学の難しい用語もありますが、日常的にはほとんど先にご紹介したような意味で使われます。
辟易の英語表現とは?
辟易の英語表現としては、「be fed up with」(うんざりする)があります。
「be fed up with」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「I am fed up with your complaining.」(あなたの愚痴には辟易している。)
また、「flinch」や「shrink」というような英単語も、ひるむという意味では適切です。
- 「flinch」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「I flinched from the difficulties.」(この難しさにひるんでいる。)
さらに、「bored」の英単語の意味は、うんざりした、退屈したというようなことがあります。
英文として使うときは、「be bored by~」と表現すると、どのようなことに辟易しているか説明ができます。