「丙午(ひのえうま)」の意味とは?「丙午」の女性の性格についての迷信などを解説




「丙午(ひのえうま)」の意味とは?

「干支(えと)」の一つが、「丙午(ひのえうま)」です。

「十干(じっかん)」と「十二支(じゅうにし)」の組み合わせで「干支」は表され、「十干の丙」と「十二支の午」が重なる年が「丙午」です。

「丙午」は60年に1回訪れます。

「丙午」は一般的に「ひのえうま」と読みますが、「へいご」と読むこともあります。

「干支」は、「十干」と「十二支」の組み合わせで60種類あります。

「十干」としては、10種類の甲(きのえ)、乙(きのと)、丙(ひのえ)、丁(ひのと)、戌(つちのえ)、己(とちのと)、庚(かのえ)、辛(かのと)、壬(みずのえ)、癸(みずのと)があります。

十二支というのは、12種類の子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)、辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(ひつじ)、申(さる)、酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)があります。

「干支」は、60年で一巡し、1年ごとに変わります。

60歳になれば、ちゃんちゃんこの真っ赤なものを着てお祝いする還暦になりますが、これは「干支」が一巡するのをお祝いする習わしです。

「十二支」は「地支(ちし)」ともいって、意味は時の流れや地上での方位です。

そして、「干支」を書くときの「十干」は、支の前に干を書くため「天干(てんかん)」といって、意味は天の流れになります。

「十干」と「十二支」は、運気の「兄(陽)・弟(陰)」と「火・水・金・土・木」をそれぞれ持っています。

「十二支の午」と「十干の丙」は、いずれも灼熱の火や炎のような性質があるとされています。

二重に火の性質があるため、「丙午」の年は火災に注意するようにと古くからいわれてきました。

「丙午」の女性の性格についての迷信

女性の性格についての迷信が、「丙午」にはあります。

これは、灼熱の火や炎などの性質が、「丙午」にあることに由来しています。

この年に誕生した男性と女性は性格が強いとされており、特にこの性格が女性は災いしてトラブルが結婚する相手との間に発生しやすいということがいわれています。

「丙午」に誕生した女性は、激しい気性であるために夫の命が短くなるという迷信があります。

これは、「八百屋お七の火付け事件」という江戸時代の初めに起きたものの八百屋お七の誕生が「丙午」であることに由来しています。

「火災が丙午の年には多い」という言い伝えが、女性の性格や結婚についての「気が強いかかあ天下」などの迷信に後から変わって拡大したと考えられています。

科学的な根拠は、「丙午」の迷信についてはありません。

というのは、星占いや血液型と同じように、同じ年に誕生した全ての人が同じ傾向や性質があるはずがないためです。

また、外国においては、特に気が強いと「丙午」に誕生した女性がいわれることはなく、当然ですが出生率がこの年のみ低くなることもありません。

一方、日本においては、出生率が「丙午」の年は低くなる傾向にあります。

というのは、「八百屋お七の火付け事件」から、世の中から「丙午」の年はそれほど歓迎されないようになっているためです。

この言い伝えは根強く近年まで残っていたものであるため、現在でもなお「丙午」の年に誕生した女性を気にしたり、「丙午」の年には結婚を止めたりする風潮があります。

現在では時代も変わっており、古い慣習や科学的根拠のない迷信を気にしない人も多くなっています。

しかし、迷信であると頭ではわかっていても、どうせなら念のために「丙午」の年に誕生した女性を避けようという心理も働いています。

そのため、「丙午」の迷信を信用しない人が多くなったとはいっても、偏見をもっている人がいまだに現代でもいることも事実です。

「丙午」の女性の性格とは?

「丙午」のみでなく、どのような「干支」も単純に誕生した年の呼び名、または偶然の巡り合わせです。

しかし、占いの算命学(さんめいがく)においては、その人の性格が「干支」によって違いがあるといわれています。

そして、「丙午」の年に誕生した女性は、特徴的な運命や性格があるといわれているようです。

算命学によると、「丙午」の年に誕生した女性はきつい性格であるために男性を食い殺す運命にあるといわれています。

食い殺すという表現は比喩的で、男性よりも運が強く、女性の方が目に付いてしまう、あるいは男性が疲れてしまって命が短くなってしまうというニュアンスがあります。

「丙午」の年はいつか?

では、「丙午」の年はいつなのでしょうか?

「丙午」の年は、「丙午」に「十干」と「十二支」の組み合わせが巡って来たときになります。

そのため、60年に1回しか「丙午」の年はありません。

また、「丙午」の年に誕生する人は60年に1回だけになります。

直近の「丙午」の年は、昭和41年の西暦1966年でした。

このさらに前の「丙午」の年は、明治39年の西暦1906年でした。

また、次の「丙午」の年は、昭和41年の西暦1966年の60年後の西暦2026年になります。

そのため、60歳に「丙午」の年に誕生した人がなったときに、次の「丙午」の年になります。

人の寿命から考えると、違う年に誕生した「丙午」の人が同じ時代にいるのは2代までになります。

「丙午」以外の「干支」との違いとは?

ここでは、「丙午」以外の「干支」との違いについてご紹介します。

「五黄(ごおう)の寅」と「丙午」の違い

「五黄のとら」は、「ひのえうま」と同様にきつい性格の女性が誕生しやすいといわれています。

「五黄のとら」というのは、ある年に誕生した寅年の女性をいいます。

本来「五黄の寅」は、占いの九星の中にある「五黄」の年に誕生した寅年です。

「丙午」は「十干」と「十二支」の組み合わせによるものであるため、もともとの根拠が違います。

時代とともに「五黄(ごおう)の寅」の読み方がなまって、「ごうのとら」といわれるようになりました。

「庚午(かのえうま)」と「丙午」の違い

「庚午(かのえうま)」は、言葉の響きが「ひのえうま」と同じようなものです。

「庚午」も「丙午」と同様に、きつい性格の女性が誕生すると一部ではいわれたりすることなどがあるようです。

しかし、全く「丙午」と「庚午」は別のもので、算命学などの占いでも特に同じような性格ではないようです。




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RUN-WAY編集部

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