「懐疑的(かいぎてき)」の意味とは?
「懐疑」の意味は心に疑いを抱くということであるため、「懐疑的」の意味は疑いを抱いている状態になります。
つまり、「懐疑的」の意味は堅い表現で疑っていることをいいます。
哲学用語としての意味は、根拠が十分にないために、揺れて判断を保留している状態です。
また、「懐疑主義」「懐疑論」という立場が哲学にはあります。
簡単にいうと、根本から全ての考えを疑って、確かではない根拠の独断を排除する立場をいいます。
「懐疑的」の使い方とは?
ここでは、「懐疑的」の使い方についてご紹介します。
「懐疑的だ」
「懐疑的だ」の意味は疑わしいということでよく使われます。
文末に使って、信じることが完全にできない様子を表現します。
「懐疑的になる」という表現が、同じような言い回しで使われるときもあります。
「懐疑的だ」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「私は、この実験について懐疑的である。」
- 「裕福に富裕層がなると、裕福に庶民もなるという理論については懐疑的にならざるをえない。」
「懐疑的な人」
「懐疑的な人」の意味は、常に物事を疑う人です。
「〇〇に懐疑的な人」は、特定のことについて疑わしいと考える人です。
「懐疑的な人」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「新製品の売上については懐疑的な人もいる。」
- 「懐疑的な人である彼は、否定的な言葉をいつも口にする。」
「懐疑的な性格」
「懐疑的な性格」の意味は、常に物事を疑う性格です。
「懐疑的な人」と意味が同じようなものです。
「懐疑的な性格」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「懐疑的な性格のために詐欺に引っかからなかった。」
- 「懐疑的な性格は非常に損するといわれた。」
「懐疑的な意見」「懐疑的な見方」
「懐疑的な意見」「懐疑的な見方」の意味は、ある物事に関して疑わしいと考えることです。
「疑わしい」という前提で物事を考える様子を表現します。
「懐疑的な意見」「懐疑的な見方」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「彼は懐疑的な見方を常にするため、なかなか新しいことにチャレンジしない。」
- 「彼は懐疑的な意見を常に述べる。」
「懐疑的な目」
「懐疑的な目」の意味は、否定的に物事を考えているような目です。
人が否定的な態度を物事について取っている様子を表現します。
「懐疑的な目」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「恋人ができたというと、懐疑的な目で見られた。」
- 「懐疑的な目を営業マンに向ける。」
「懐疑的な姿勢」「懐疑的な態度」
「懐疑的な態度」「懐疑的な姿勢」の意味は、物事を疑わしいと思っている姿勢や態度です。
「懐疑的な目」と意味が同じようなものです。
「懐疑的な姿勢」「懐疑的な態度」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「占いに彼女を連れて行ったが、懐疑的な姿勢を終始崩さなかった。」
- 「政府の決定に野党は懐疑的な態度であった。」
「懐疑的な視点」「懐疑的な立場」
「懐疑的な視点」「懐疑的な立場」の意味は、物事に否定的な様子です。
「懐疑的な見方」と意味はほとんど同じです。
「懐疑的な視点」「懐疑的な立場」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「懐疑的な視点で見れば、新しい物事の側面が見えてくる。」
- 「懐疑的な立場で考える習慣をつける。」
「懐疑的な思考」
「懐疑的な思考」の意味は、まず物事を疑う考え方です。
「批判的な思考」と、このような考え方は表現されるときもあります。
「懐疑的な思考」は、深く物事を捉えるために必要です。
「懐疑的な思考」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「懐疑的な思考をすると、詐欺に遭わないだろう。」
「懐疑的」の類義語とは?
ここでは、「懐疑的」の類義語についてご紹介します。
「猜疑的(さいぎてき)」
「懐疑的」は「懐疑的」と同じような言葉ですが、「猜疑的」は人が疑う対象です。
「猜」の意味はねたむ、そねむということがあり、「猜疑」は素直に他の人の言動を受け入れることができなくてねたんだり、疑ったりすることをいいます。
つまり、「猜疑的」は人に対してだけ使える言葉で、「懐疑的」は人などの全般について使える言葉です。
「半信半疑」
「半信半疑」は、半分疑って半分信じている状態で、はっきり真偽がしないために判断ができない様子です。
「半信半疑」は、全て肯定することはできないが否定しきれないこともあり、判断ができないという意味の「懐疑的」と言い換えることがお互いにできるため、類義語といえます。
「否定的」
「否定的」は、物事について打ち消している状態や様子です。
「懐疑的」の意味は物事について疑わしいことがあるために肯定が完全にできないことですが、肯定が全くできないということではありません。
そのため、「懐疑的」は多くあいまいなところがある状態をいいますが、「否定的」は肯定できない状態を表現するものです。
「懐疑的」の対義語とは?
ここでは、「懐疑的」の対義語についてご紹介します。
「盲信的」
「盲信」というのは、物事の意味や内容を把握しないままに信じ込むことを表現しています。
「懐疑的」は、そのまま物事を信じないで、把握するように努力したうえで距離を肯定できないものについては置こうとする状態や様子のことです。
しかし、「盲信的」はよく把握しないまま信じることで、他に判断を委ねる態度です。
「妄信的(もうしんてき)」
「妄信」というのは、考えることをしないでそのまま信じてしまうことです。
「盲信的」は一応考えてみたが把握できないまま判断しないで信じることですが、「妄信的」は全く考えないでそのまま信じることを表現しています。
そのため、「妄信的」の方が「盲信的」より浅はかで短絡的な態度であるといえます。
「確信的」
「確信的」は、疑わなくて固く信じる状態や様子のことをいいます。
確信する理由としては、理性的な判断のみでなく、信仰や思想、個人的な思い入れや道徳心などいろいろです。
「確信的」は強い意思で信じて疑いがない状態を表現するため、「懐疑的」の対義語といえます。