苦言を呈するの意味とは?
苦言を呈するという言葉は、名詞の苦言と、動詞の呈するから成り立っています。
苦言の苦は、草冠と古から成り立っています。
苦の意味は「固い草」で、ここから「食べても苦くて固い草」、転じて「苦しい」あるいは「味が苦い」という意味になりました。
さらに、現在では「悩み」「痛み」「悪い」「難しい」「無理がある」というような意味でも使われる時があります。
苦言の言の意味は、「話した言葉自体」「人がいった言葉」です。
そのため、苦言の意味は「悪い言葉」になりますが、単なる「嫌み」「悪口」ではなく、「いわれた人としては気分がよくないが、あえてその人のためにいう必要がある厳しい言葉」というようなことになります。
一方、呈するの呈の意味は、人の口と「階段」になります。
「階段」の意味は「突き出る」ということで、呈の意味は「口から突き出る」、転じて「示す」「表す」「表現する」ということになりました。
また、「奉る」「差し出す」というような意味でも使われます。
このようなことから、苦言を呈するの意味は、「相手のことを考えて、改心するためにいいくいことをあえていう」になります。
苦言を呈するの類義語とは?
ここでは、苦言を呈するの類義語についてご紹介します。
進言する
進言するという言葉は、苦言を呈すると同じような意味があります。
しかし、進言するという言葉は、意見を目上の上長などの人にいう時に使います。
目上の人に進言するのは、勇気がいるでしょう。
というのは、進言する時は反論的な意見をいうようになるためです。
そのため、進言するは話し言葉として使う時が多くありますが、メールや書面で使っても問題ないでしょう。
具体的な進言するの使い方としては、「現在の会社の体制ついて進言する」「機構改革を進言する」などがあります。
しかし、進言するを使う時は注意する必要があり、「苦言を進言します」という表現はおかしくなるため注意しましょう。
というのは、「言」という漢字が重複しているためです。
同じように間違った使い方としては「馬から落馬した」がありますが、これと同じように使い方が間違っています。
諫言(かんげん)する
諫言(かんげん)するという言葉も、苦言を呈すると同じような意味があります。
しかし、諫言するという言葉は、ほとんど文書で使います。
文書で諫言するを使うのは、読み方が関係しています。
「諫言」という言葉は、どのような意味か聞いた人は理解するのが困難でしょう。
また、「諫言」の意味は、「目上の人に物申す」ということであるため、ダイレクトに言葉の意味が相手に伝われば、強い嫌悪感を反対意見を受ける立場の人に与えるのを抑える効果もあります。
相手に苦言を呈するという言葉の敬語としては、「諫言する」を使うといいでしょう。
苦言を呈する人とは?
では、苦言を呈するのはどのような人でしょうか?
ここでは、苦言を呈する人の特徴についてご紹介します。
正義感が強い
他の人の良くないところや落ち度について苦言を呈してしまうような人は、曲がったことを見逃せない、正義感が強いという特徴があります。
いつも接している人に対する苦言の時は親切心から注意してあげようということであったり、いつも接していない人でも、曲がったことをしている人に対して正さずにはいられない性格であったりするような人もいるでしょう。
基本的に、正義感が強いので、他の人の過ちを見逃せないという特徴があります。
このような性格の人は、他の人の失敗や過ちを見逃すとストレスになるため、注意しなかったことで先々後悔するよりははっきりとその場で苦言を呈してしまいます。
文句をいうのは悪意ではなく、正義感による行動といえるでしょう。
シニアや年配である
シニアや年配の人は、豊富に人生経験があるため、若い人の良くないところが気にかかるようになります。
年を取るにつれて、人は物理的なパワーの腕力などが落ちてきますが、要領よく困難を克服する方法をマスターしてきます。
このような意味において、シニアや年配の人は、若い人より困った時の対応方法や最悪の事態やミスを招かないためのノウハウなどをマスターしているため、不器用な若い人につい苦言を呈したくなります。
これも、シニアや年配の人としての親切心からであり、嫌がる若い人もいるでしょうが、有難い苦言であるといえるでしょう。
このようなことから、苦言を呈する人の特徴はシニアや年配の人が多いことであるといえます。
余計な世話をする
人を褒める時は他の人とトラブルが発生しないため、必要以上に気配りすることもありません。
しかし、苦言を呈する時は他の人とトラブルが発生することが場合によってはあるため、非常に使う時は気配りする必要があります。
しかし、他の人に苦言を呈する時に抵抗があまりない人は、基本的に余計な世話をして相手を正すことが当然であると考えています。
そのため、つい他の人のことについて注意して口出ししてしまうような特徴があります。
例えば、親が子供を叱るようなことで、他の人に接している時もあるでしょう。
基本的に正義感があるためですが、苦言としてあえていわないと気が治らない性格であるため、余計な世話をするのでしょう。
他の人の粗が気にかかりやすい
苦言を呈してくれるのはいいでしょうが、程度がちょっと過ぎたり、ほとんど相手を褒めることがなかったりする人は、他の人の粗が気にかかりやすくて、いいところが目につかないという特徴があります。
人は不思議なもので、いいことをいくら行なっていても、良くないことを1回すれば、この1回の方に着目してしまって、いつもいい人であるがこのような良くないことあるいは失敗をする人であるというような見方をする人も相当います。
また、1回良くないことや失敗をしてしまえば、良くない面が他にもあるのではないかという疑いを持ってその人を見て、粗探しをするような人もいます。
学校や職場などで、苦言を特定の人に呈されるのみであるという時は、苦言を呈している人が良くないところのみを見ており、いいところを見ようとしていないこともあります。
苦言を呈するというのは、他の人や組織の良くないところがその苦言によって改善されていくというメリットもあり、基本的に正義感や善意から行われることが特徴です。
しかし、苦言の程度があまりにも過ぎれば、他の人とトラブルが発生したり、他の人の和を乱したりする時もあります。
このような時は、苦言を呈している人が他の人の良くないところに過剰に反応しているというような性格が関係していることがあるため、注意する必要があります。