「パンドラの箱」とは?
触れてはいけないものという意味の例えが、「パンドラの箱」というものです。
触れてはいけないというのは、話題にしたり実行したりすると誰かを傷付けたり悪いことが起きたりすることです。
「パンドラの箱」を使った表現の「パンドラの箱を開ける」の意味は、災いが発生する要因を作るということになります。
「パンドラの箱」の語源とは?
ギリシャ神話が、「パンドラの箱」の語源になります。
最高神のゼウスが地上最初の女性のパンドラに全ての不幸や災いが入った箱を渡して、「絶対に開けてはならない」と命令します。
しかし、好奇心からパンドラは箱を開けて、入っていた不幸や災いが飛び出しました。
すぐにパンドラは蓋をしましたが、「希望」のみが箱に残りました。
「パンドラの箱」は、この神話から「触れてはいけないもの」の例えになりました。
「パンドラの壺」と「パンドラの箱」の関係とは?
「パンドラの箱」のベースになるギリシャ神話では、パンドラは箱ではなく壺を開けたとなっています。
では、どうして箱に壺がすり替わったのでしょうか?
ヘシオドスの著書の「仕事と日」に、最古の「パンドラの箱」の記述があるとされています。
「仕事と日」の中では、壺を古代ギリシャ語で意味する「ピトス」をパンドラに渡したと書かれていました。
ルネサンス期になれば、ラテン語で「ピトス」を箱という意味の「ピュクシス」とエラスムスが訳しました。
それから、箱をパンドラが開けたといわれるようになったようです。
「パンドラの箱」に残ったものとは?
「パンドラの箱」に残ったものは、原書では「エルピス」で、意味は古代ギリシャ語の予兆、希望、期待ということです。
「パンドラの箱」に残ったものについては、ネガティブなものとポジティブなものがあります。
ネガティブなものは、希望が残ったために希望にすがることしか人間はできなくなって、苦しみが多くなったというものです。
ポジティブなものは、希望を持って生きられるようになった、希望が人間の手元に残ったというものです。
「パンドラの箱」の使い方とは?
ここでは、「パンドラの箱」の使い方についてご紹介します。
実行すると駄目なことを行うときに「パンドラの箱」は使われる
「パンドラの箱」は、実行しては駄目と考えられるような行いをするときに使われます。
機嫌を相手が損ねるようなことをするとき、触れて欲しくない話を相手がするときなどに、「パンドラの箱」は使います。
「パンドラの箱」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「その件は○○さんにとってパンドラの箱であるため触れないように。」
- 「そのエピソードは、○○さんの反応からしてパンドラの箱と見なしていいだろう。」
「パンドラの箱を開ける」
「パンドラの箱を開ける」の意味は、取り返しのつかないことをするということです。
相手を怒らせてしまうようなこと、取り返しのつかない大きなミスをするときに、「パンドラの箱を開ける」は使います。
「パンドラの箱を開ける」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「○○さんが心配している話をして、パンドラの箱を開けてしまった。」
- 「過去の汚点であった出来事について、前に一歩踏み出すために触れた。つまりパンドラの箱を私は開けた。」
「パンドラの箱を渡された」
「パンドラの箱を渡された」は、責任が重い、あるいは能力的、技術的に達成できないようなことを頼まれたときに表現します。
例えば、ある仕事を上長が部下に指示したとき、その仕事が部下にとっては責任が重すぎて困難であると感じたときなどに、「パンドラの箱を渡された」は使います。
「パンドラの箱を渡された」を使った例文としては、次のようなものなどがあります。
- 「パンドラの箱を上長から渡された。困った。」
- 「パンドラの箱を渡されたとわかったとき、気力が一気に無くなった。」
「パンドラの箱」に残ったのは希望か?予兆か?
「パンドラの箱」に残ったのは、「エルピス」というものです。
では、人間にとって「エルピス」は希望でしょうか?
それとも、予兆でしょうか?
実際には、希望でも予兆でも、良くも悪くも考え方によってなります。
「パンドラの箱」に希望が残ったケース
「パンドラの箱」に希望が残ったケースが、有名な説です。
では、人間にとって世界中に災いが広まった後に希望が残ったのはいいことでしょうか?
希望はいいことであるとする考え方
いかに良くないことや困難があっても、希望が人生にはあるために前に進める、つまり、どのようなことが起きてもポジティブな考え方で行動することです。
人間は、希望がないと生きていけないということです。
希望は良くないことであるとする考え方
どのようなことが起きても希望があるため、一生困難に立ち向かっていかなくてはならない、つまり、ハッピーエンドが最後にあるという保証はないにも関わらず、困難に一生チャレンジし続けなければならないということです。
「パンドラの箱」に予兆が残ったケース
予兆の意味は、未来に起きることの兆しということです。
予兆が「パンドラの箱」に残っていたとする説です。
では、人間にとって世界中に災いが広まった後に予兆が残ったのはいいことでしょうか?
予兆はいいことであるとする考え方
いかに良くないことや困難があっても、人間はいい方向にこれを方向転換する予兆を感じ取ることができる、つまり、人間は予兆があるために絶望しないで生きていけるということです。
人間は、予兆を感じ取ることができなければ生きられないということです。
予兆は良くないことであるとする考え方
予兆を感じ取ることができるためにどのようなことが起きても、一生困難に立ち向かっていかなくてはならない、つまり、ハッピーエンドが最後にあるという保証はないにも関わらず、困難に一生チャレンジし続けなければならないということです。
「パンドラの箱」に残っていた「エルピス」が希望でも予兆でも、幸福にも不幸にも考え方によってはなるということでしょう。
同じことが起きても、幸福とそれを感じる人がいたり、不幸とそれを感じる人がいたりします。
人間界にゼウスが贈った「パンドラの箱」を、幸福と思うか、不幸と思うかは、自分次第でしょう。