『嫌なら見るな』ができない理由【ライター/DJあおい】

『嫌なら見るな』ができない理由




嫌いな人なのについついその人のSNSを見てしまう、嫌いな人なのについついその人のブログを見てしまう

嫌いなはずなのにその人の動向が気になり、暇さえあればウォッチしてしまう

そんな経験がある人も多いかと思います

私のブログにも『アンチ』と呼ばれる人達が足繁く通い詰め、毎日せっせとPVに貢献してくれる熱心なアンチ様がたくさんいらっしゃいます(ありがとうございます!)

『嫌なら見るなよ』と多くの人は思うでしょう

しかし人というのは嫌なものは見てしまうように出来ているもので、見ないものは興味のないものだけなんです

好きも嫌いも興味の一種なので、『嫌い』という興味がある以上はどうしても気になってしまうということですね

 

『好き』という感情はその人を尊ぶ気持ちで出来ています

『嫌い』という感情はその人を蔑む気持ちで出来ています

ベクトルは違えどその感情は大きく動いているのです

その感情の振り幅が興味の大きさに比例するものでして、尊ぶ気持ちが大きければ大きいほど『好き』という興味が生じて、蔑む気持ちが大きければ大きいほど『嫌い』という興味が生じて、対象となる人をもっと知りたいという衝動に駆られてしまうわけですね

『嫌なら見るな』という意見は正論に聞こえますが、それは『好きなら見るな』と言っているような矛盾した暴論なのですよ

 

好きな人も嫌いな人も自分を投影して観察しています

好きな人を肯定することによって自分を正当化し、嫌いな人を否定することによって自分を正当化し、それはどちらも『自分』という存在を正当化するための興味なんですね

自分という存在にイマイチ自信を持てない人が、病的に誰かを好きになったり、病的に誰かを嫌ったり、自分の存在を正当化するために違う誰かに執着してしまうということ

だから他人を病的に好きになる人は、病的に誰かを嫌うケースが多いのですよ

その感情が好きでも嫌いでも、対象となる人に過干渉になってしまう人というのは、まだ自分という存在に自信を持つことができていないということですね

 

ある程度精神的に成熟してくれば『自分は自分』と他人と切り離すことができるので、他人に対してそれほど興味はなくなるんですよね

好きも嫌いもそれほどの熱量を持たなくなるので、健全に人を好きになり、健全に人を嫌うことができるようになるということです

どんなに成熟しても完全に好き嫌いを消すことはできませんが、それでも理性を失うほど他人に執着することはなくなるでしょう

嫌いな人のSNSやブログ等に執着している自分に気付いたら、自分の自尊心が弱っているときだと自覚した方がいいかもしれませんね

 

DJあおい

謎の主婦。 ツイッターで独自の恋愛観を綴り、一般人としては異例のフォロワー22万人。 サブアカウントではフォロワーの恋愛相談にも乗り、こちらも異例のフォロワー約15万人。著名人のファンも多く、幅広い層から支持されていますが、その素性はいまだ謎のままです。

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RUN-WAY編集部

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