自分への批判は、気にしたほうが良いですか?【ライター/北条かや】

自分への批判




多くの仕事は何らかのコミュニケーションで成り立っていますから、人間関係がまったくないところで働くのはほぼ不可能です。だからこそ、これとどう向き合うかは非常に大きな課題。中には、悪口や批判を言ってくる人もいます。心が傷つきます。どうしたらいいでしょうか。

 

悪口や批判は見なくていい

結論から言うと、私は「悪口や批判は、絶対に見ないほうが良い」という立場です。なぜなら今の社会は、悪口と批判を一緒くたにする人がほとんどだからです。

 

本来、悪口と批判は全くの別ものなのに。英訳してみると分かりやすいのですが、英語では「批判」も「批評」も「Criticism」。相手の人格に関係なく、書かれたものの内容を精査し、互いを高め合うための行為が「批判」であり「批評」です。相手をただ攻撃するための悪口とは、明確に違う。

 

 

批判がうまく機能しない日本社会

ところが今の日本社会では、この「批判」がうまく機能していません。あなたの会社で、まっすぐに相手のことを「批判」してくれる上司や同僚がどれだけいるでしょうか。いたらそれはとても幸せなことだと思いますが、ほとんどの人は「ただの悪口」や「あの人って○○だよね」という、「非難」や「ただの悪口」に終止していないでしょうか。人物の好き嫌いで物事を判断していないでしょうか。

 

 

現代は「評価経済社会」

評論家の岡田斗司夫さんが数年前に「評価経済社会」と名付け、SNSでアピールされた人格評価がその人のすべてとなってしまうような現代社会では、「いかに多くの人に好かれるか」がすべてです。

 

テレビCMに起用されるタレントの「好感度」という曖昧な尺度が、たった1度のスキャンダルで地に落ちてしまうことがあります。スキャンダルの前後では、同じタレントが発する言葉がまったく異なる受け止められ方をしてしまう。それらをジャッジするのは、私たちの「感情」です。

 

 

「前までは好きだったけど、今は嫌い。だから悪口を言う」

とにかく、好きか嫌いかという感情ベースの議論が社会を支配している。「あの人が嫌い。だから悪口を言う」それだけで動く人がたくさんいます。ネット社会ではすぐに「誰々が嫌い」とSNSに吐露することができてしまうので、マイナスの感情がどんどん波紋を広げていきやすいんです。

 

正当な批判はなかなか見つからない

だから、会社や仲間内で「あなたを批判している人がいる」と聞いても、深くその中身を聞く

必要はありません。9割以上の確率で、その批判は「あなたへの好き嫌いに基づいた悪口」でしかないから。

 

今、私は自分の名前でネット検索はしませんし、ツイッターのリプライもほぼ見ません。ましてやネットの掲示板なんて「好き嫌いの感情に支配された人たち」の巣窟ですから、絶対に見ない。

 

 

悪口を言うことでしか自分を保てない、かわいそうな人たち

世の中には、人の悪口を言うことで自分を保とうとする人がたくさんいます。「誰かを嫌いな私」が自我の中心にあるのでしょう。そうやって感情を吐露する人たちと、私は一緒になりたくありません。

 

われ誰かを嫌う、故に我ありなんて似非デカルトみたいな人たちに傷つけられるくらいなら、感情に支配された俗世間を抜け出て、我が道を行ったほうが自由になれる。悪口を言い合う泥沼のようなコミュニティーを脱出したら、昨年はとてものびのび仕事ができました。

 

群れあって悪口を言うくらいなら、孤独を生きるほうがナンボかマシ。その孤独は、必ずあなたを自由にしますから。(文・北条かや)

 

北条かや

北条かや

石川県出身。同志社大学社会学部卒業、京都大学大学院文学部研究科修士課程修了。
自らのキャバクラ勤務経験をもとにした初著書『キャバ嬢の社会学』(星海社新書)で注目される。
以後、執筆活動からTOKYO MX『モーニングCROSS』などのメディア出演まで、幅広く活躍。
最新刊は『インターネットで死ぬということ』(イーストプレス)、
他に『整形した女は幸せになっているのか』(星海社新書)、『本当は結婚したくないのだ症候群』(青春出版社)、
『こじらせ女子の日常』(宝島社)。公式ブログは「コスプレで女やってますけど Powered by Ameba」(https://ameblo.jp/kaya-hojo
ツイッターは@kaya_hojo (https://twitter.com/kaya_hojo)






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